オムニヨシダは、世界で初めて垂直搬送機「オムニリフター」をはじめとした物流機器の研究開発および生産を行う、いわば「機械を生み出す」事業、そしてオムニヨシダの生み出した機械をメンテナンスすることで生命力を与える、「機械を生かす」事業を行っています。
オムニヨシダは、機械の開発・生産や物流システムのご提案並びにメンテナンスを各部署が担当することによって仕事の流れをスムーズにし、また専門性をもたせることでより高度な技術を追求できる体制をとっています。
「こんな物流機器がほしい」「あんな物流システムを工場に入れたい…」お客様の要望に対し、営業が打合せに伺います。
営業担当がお客様からヒアリングしてきた内容をもとに、設計担当も一緒になって調査を開始します。お客様に満足頂けるよう、オムニヨシダ90年の技術力をもって最適な物流システムのご提案をさせて頂きます。
プレゼンテーションでご承認頂いた基本設計をもとに概算見積をします。その後、段階的にシステムのご提案、最適機器の選定へと進み、製造工程に必要な詳細設計に着手します。営業担当・設計担当が一丸となって、ひとつひとつお客様にあったご提案をします。
奈良工場を中心に、各工場で得意分野を分担して製造に着手します。オムニヨシダは得意分野を分担することで、それぞれの専門性・技術力を高め、徹底して仕事の効率化を目指しています。
パートナーの施工会社と打合せを行い、部材や機材を現場に搬入し、機械を据付けます。そこで経験を積み上げ、現場監督としてすべての施工を管理します。試運転とともに機器の取扱説明も行います。
オムニヨシダは、1929年、大阪市浪速区浪速町で先代社長・吉田理吉が産業用運搬車の製造を業務として『吉田車輌製作所』を創業しました。運搬車といっても当時は動力を用いない台車・荷台を製造していました。 戦時中は軍需工場に指定され、軍需品の生産を行っていましたが、終戦後は通常の運搬車の製造業務に復帰。大手企業の工場に納入させて頂くなど、着実に実績を伸ばしていきます。 ですが、
このまま人力運搬車を製造し続けていて
よいものか…
高度経済成長期を迎えた吉田車輌製作所は、現在の会社を継続して何か新しいことをできないか、さらなる発展に向けて考えはじめます。オムニリフター開発に至るまでの試行錯誤の10年のはじまりです。
簡単なエレベーターを用いて物を運ぶことができないだろうか・・・
ある日、お客様からこのような相談をうけました。
戦前は平屋作りの工場が多くありましたが、戦後は階層立ての工場が増え、人力で物を運ぶことが難しくなってきていたのです。
私たちの力でお客様の業務を少しでも効率よく
サポートすることはできないか
そのような想いから、吉田車輌製作所はエレベーターの仕組みをヒントに、垂直搬送機の開発に本格的に着手します。 折よく某大手商社様から「オムニホイル」という部品を使用して何か製品化することはできないか、という相談を受けていたこともあり、オムニホイルを使用した垂直搬送機「オムニリフター」のプロトタイプを見本市に出展するに至りました。この見本市で2件の契約を結ぶことができ、オムニリフターのさらなる開発が進められることになったのです。
オムニホイル
この「オムニホイル」という部品が初期の段階で垂直搬送機に使用されていたため、「オムニリフター」と名づけられました。
現在ではオムニホイルは使用されていませんが、その名前が残っています。
八尾移転当時の本社ビル
オムニリフターはさらなる改良を続けましたが、当時は会社としての知名度が低く、なかなか納入してもらうことができず苦労することもありました。より良い製品を作るためには現場の声が必要不可欠。そのような考えからメンテナンス業務を開始するなど、オムニリフター開発までの妥協は一切ありませんでした。
1973年、ついに「オムニリフターシステム」を開発。オムニリフターは各種の安全装置を組み入れ、作業の安全性を高めた設備で、建設省・労働省にエレベーター以外の機械設備として審査請求。
わが国で初めてパレット垂直搬送機として
認められました。
機を同じくして「吉田車輌機器株式会社」と社名を改め、本社を大阪市内から八尾に移転。
オムニヨシダはオムニリフターの開発と共に大きく転換、発展したのです。
現在もオムニリフターは主力商品として、日本国内はもちろん世界中に納入させて頂いております。さらにはオムニリフターだけでなく、「クライミングレベラー」や「パレスルー」「ORS/ODS」といった新製品の開発も積極的に行っており、オムニヨシダはこれからもその歴史を刻んで行こうとしています。
たくさんのお客様にオムニリフターシステムを
採用頂いております。